和田家と神社と源頼朝と蕪島神社
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うちの近所で元青学の教授がおりました(コロナ前にお亡くなりになりましたが)。
そのおじいさんが、「和田家の歴史を知っているかね?」って尋ねられて、その時、あまり興味がなく、あまり詳しくは存じ上げませぬと。
ただわかっていたことは、うちの祖父の代で、藤沢市の税務署が過去帳と音信帳を調べ上げて、とある神社がうちが世襲しており、そこの5年分の固定資産税と延滞税を払えと言ってきたのは覚えています。
「祖父も父も、冗談じゃね〜」って蹴りました。
和田家は私の代で5代も葬儀社を営んでいます。
江戸末期にお奉行様に仕えるおかっぴきの子分の下っ引きをやっていて、当時、流刑から戻ってきた罪人を社会復帰させるために葬儀の人足として活用したのが始まりとのことです。
その先は伯父である和田晃一しか今は知る人はいない。
さて、その和田家だが、うちは遡れば頼朝の相方であった北条政子に潰された三浦の和田であることは判明している。
鎌倉で私と同姓同名ではなく、同姓異名の友人がおり(彼はかなりの有名人)、互いに話をしていたら、きっと遠い親戚だねと。

蕪島神社の歴史は鎌倉時代に遡ります
この投稿では割愛しますが、地方創生で八戸を訪れております。
そして、蕪島神社と江の島の由来があり、時代の情報が少々混乱しているところを発見。
八戸を代表する本(ムック)に頼朝により流刑された武士、犬房丸がと。
すでに頼朝は70年前に死亡しているのだが・・・
その真意と真実を確かめに再度蕪嶋神社に調査しに行ってきました。
実際は、蕪島の資料室にあった本からは単なる頼朝に近かった家族の末裔であっただけで、頼朝とは関係ない!
しかも、頼朝が亡くなったのは1199であり、この蕪嶋神社が設立されたのが1969である。
歴史家はきちんと把握しているのだろうかと。

そのような出来事の調査と介護施設経営している池田介護研究所の池田社長が三沢駅前に「サードプレイス三沢」をオープンしたので、そこの祝賀会に行ってきました。
これについても、また後日、報告いたします。
サードプレイスだけあって、カフェもあり、様々なイベントを予定しスタジオ、ヨガ、ドッグランまで企画しているところです。
