外国人記者クラブでの出来事

この数日間、日本外国特派員協会が炎上している
理由がコロナウィルスに見せた東京オリンピックのロゴを風刺画としたカバーの会誌が話題に上がった。
なぜ今ごろと言うのも理解が出来ない。

普段、私はここのジャーナリストの肩を持つことはしない。
なぜなら、正会員であるジャーナリストは我々準会員を植民地の住民と見下しているからである。
そのように進駐軍が作った定款が作られており、それを我々が長年かけてものすごい努力をしながら変えようとしてきたからだ。

しかし、今回はちょっと待った!が私には入った。

そもそも風刺画を受け入れられない日本文化はやはり心が狭いのか?
先進国として、言論の自由がないのか?と言う課題もある。
そうなると、一神教の心の狭さ(オレたちの神以外は認めない)と言うのと同じでは。

私はここの委員長を2つ請け負っています。
しかも手弁当です。
報酬ゼロ(委員会でのランチはでますけど)この数ヶ月はすべてオンライン会議なので集まることなく何も出ない。

「日本死んだ」などが流行語大賞になるが、こういうのはダメなのか?と言うのはちょっと残念だなと。
なぜなら、中身を読んだか?

コロナウィルスにどうジャーナリストは対応せねばならないかや、事実関係の確認、どう安全に過ごせるかなどが記載されている。
そして、コロナ被害者にはどう心遣いをするかも。更に誰もがオリンピックを延期することになって残念がっている。
とくにジャーナリストたちはここでひと稼ぎできるからでもあった。

日本のジャーナリズムは、どこの新聞紙を見ても程度が低いのはよくわかる。
しかも電通や博報堂の顔色を見ている。
それってジャーナリズム?中国やロシアと変わらんじゃない。
しかも本来なら大手広告会社は1社以外のメディアに属してはならないと私は思う。
互いを批判できない、しかも広告会社が絡めば尚さら批判できない仕組みが作り上げられている。
日本国民には日本のそういう悪い状況のを理解して欲しい。

 

日本はそもそも八百万の神を信じる国だからこそ、他人を思いやり共存共栄があった。
逆に、その思いやりがあるからこそ監視社会というのもある。
それがムラ意識につながる。
今の日本は匿名性が高い仕組みでないと騒ぎを起こせない国民に成り下がっている。
しかし、一人ひとり会うと、とってもいい人だったり、本当はそういう本意がないともわかる。
そこは社会への不満があったり、政治への懐疑心、働いても報われない会社システムになり馬車馬のように働かざるを得ない仕組みが出来てハケグチになっているとしか考えられない。

今回の騒動は、私からしたら「なぜ今?」というがある。
そこが残念でならない。