葬儀社は社会性高い職業

そもそも葬儀社は社会性の高い仕事であり、本来ならB Corporationとして認定されてもおかしくない。
しかし、社会性が高いからと言ってもB Corporation認定とはならない。
なぜなら「透明性」と言うハードルが高いジャンルがあるからだ。

そうなるとビジネス的にWin-Winモデルが成り立ちにくい。
更にWin-Winモデルは古い。
今では、互いにPlus-Plus思想が必要。
そしてパイが大きくなる。
葬祭業のパイは大きくなるのは死亡者数が増えることによってだ。

しかし、自生100年の時代で、老老介護が進み、QoLが下がる。
するとWin-WinもPlus-Plusも働かなくなる。
その漁夫の利を得ようと多くの人たちがDeath Industryに参加しはじめている。
青木新門さん「納棺夫日記」がベースの映画「おくりびと」のおかげで共感を得て、更に多くの人たちが参入するようになった。

撮影:2009年5月21日 日本葬送文化学会 定例会(撮影は私)
【いのちのバトンタッチ ~映画「おくりびと」に寄せて~】

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しかし、これはEndingの前の産業のパイの主導権を握ろうとしているだけだ。
それにより、葬祭業をコントロールしようとしているのでは。

つまり、川上にて川下を制御しようとするやり方である。
例えば、介護事業者が葬儀社も始めたら、既存の葬儀社が必要なくなる。または介護事業者が葬儀社を指名する。
更に川下で葬儀のあとの相続も牛耳ることによってワンストップサービスが提供できるようになる。

一つここで盲点になっているのは、式場の問題である。
介護事業者が式場を持っているかどうかだ。
寺院がホスピスを経営する場合はお寺で葬儀を取り扱うことができる。
しかし一般の介護事業者が常に収益をあげない葬儀ホールに投資をするか否か。
答えはNOだろう。

その場合、どこかの葬儀社とタイアップするしかないだろう。
さらに葬儀社が介護事業者になることも考えられる。逆にそのほうが素直だろう。

葬儀には思想もマイノリティも関係ない。
それは一人の人間として扱うからである。
亡くなった人を弔うのは遺族であり、葬儀社は通過儀礼を手助けするだけである。

まず、この本を紹介します。

プロノイア主催のイベントでお会いになった鈴木絵里子さんの本です。

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3CのConfidence, Connection, Communityがあげられている。
この3つのCをどう使って葬祭業が新しいパラダイムを提供できるかを考える必要がある。
このパラダイムが土台になるのだろう。

鈴木絵里子氏がいうのは固定概念を消すことである。
これは確かにそうだ。
固定概念により思考停止する。
自分の思考でスコトーマ(盲点)を生み出している。
Confidentというのは「自信」である。
その自信を裏付けるものはなにか。
固定概念のおかげで、その自信を失うことすらある。しかし、その固定概念はその人の住んでいる社会またはコミュニティによってのものだったりする。

所変われば品変わるともいう。
南北のアメリカとヨーロッパ、インド、オセアニア、アジア諸国でみんな固定概念が違う。
その国でかわいいとされているものは本当にかわいいのか?(たぶん、かわいいけど、これはあくまでも主観である)。
死刑制度が存在しない国で、日本は死刑制度があるのでこれはおかしい、反対せねばならない!って言いながら、もっと広い目で見たら、アメリカは死刑制度を廃止しているが、警察官は人々を射殺している。それも多くの人達を。こういうのも固定概念に縛られているから勉強しないとわからないことである。

つまりUnlearnせねばならない。
私が1980年代後半で当時の現代物理学を学んでいたころ、「素粒子は質量が存在しない」という概念があったが、小柴教授がスーパーカミオカンデにて素粒子も質量があることを証明した。
これによって物理学も固定概念が崩れたのはいうまでもない。

自信をつけるには固定概念を除去し、自分を信じることから始めるしかない。
チャレンジ1年生!と同じに幾度もトライし続けることが大切である。
Practice Makes Perfect。

つぎにConnection。
コネというのはどうやって作るのか。
簡単に作れることはないですよね。
コネというのは信頼性から成り立つものです。
その信頼性というのは人間関係です。
相手の悪口を言わない、嘘をつかないというのは大前提です。
仕事におけるトライとベストを尽くすというのも。

まず信頼性を得るには自分を自己開示する必要があります。
自分はこういう人ですよと相手に見せつける必要があります。
これは非常に不安になることです。
開示したことによって自分が不利益になるのではと恐れます。
しかし、信頼を得るには自分が何をでき、何ができない(苦手)かを相手に伝えることが大切です。

そして最後のCommunity。
コネを活かして掘り下げると言うことです。
しかし、これから求められるのは縛ることを禁止することが必要だと私は感じます。
そのコミュニティは出入り自由にしないと良いアイデアも押しつぶされてしまうかと感じます。
ある意味、いいとこ取りでずるいと感じる人もいるでしょうが、今の働き方改革を掘り下げると一つの場所に居座る時間がもったいなく感じてしまいます。

PDCAからOODAへと以前、どこかに書きました。

#PDCA

http://mms.yey.co.jp/tag/pdca/

つまりObservationが全く足りていないから起きる課題をコミュニティで通じて解決せねばならない。
一人では解決できないがコミュニティ(集団)を以て行えば解決できることが可能かことがある。
しかし、そのコミュニティが暴走するとプロ市民とか関係ない人たちまで参加し本来持つ良いところまで崩してしまい、コミュニティから抜けるに抜けなくなる。
そしていざ、抜けた場合、村八分になる。

行動したには「掘り下げる」必要があります。

葬儀社が社会性高い職業にあるには、まず地域との連携を行う必要がある。
もともと葬儀社は地場産業である。
そして今の首都圏では(田舎は人口密度が低いのでまた違う課題がある)葬儀社の営業圏内が半径3Kmと言っても過言ではない。
だからこそ、影響力を及ぼすのに色々と会館を建てたり、提携したりし、勢力を広げている。
タウンページの電話帳を見てもやたらと1社があらゆる地域に君臨しているのがわかる。
場合によっては従業員の自宅を営業所にしている会社もある。

つまり、社会性が高いが、ここで不透明なことを起こしているので問題がある。
米国のB Labsが運営するB Corpの中でこのような会社がある。

日本人が聞いたことある会社は、パット見、Ben & Jerry’sアイスクリーム、パタゴニア、Etsyくらいかも知れない。
そこでBen & Jerry’sのアイスクリームを一つの例として取り上げてみて、透明性を有するが、アイスクリームの製造方法や原材料を開示しろと言うのではなく、企業理念、価値観、社会的使命を開示し、共感を得ることによってB Corporationムーブメントに合格している。

https://www.benjerry.jp/about-us/b-corp

葬儀社にこれができるかが課題である。

日本にはベースが葬儀専門会社として上場している企業が5社ある。
その中で大手の大株主が不透明なところが1社ある。
その株主が銀行や保険業とかではなく、ある組織と個人が持株会社になっている。
その先を調べると、その関連会社がまたあり、同じ組織と個人名が出てきている。
その組織と人物を調べようとすると情報がない。
ある意味、鉄の壁までとは言わないが情報が途絶える。

葬儀社が唱える社会性や企業理念、使命感がどれだけ素晴らしくても、持株会社の母体があまりにも不透明であると気持ちがよくない。
実際、不動産業界もそのようなことが多いと言われている(知人の不動産屋さんが各県内で2名いると言われる不動産屋さんで毎年公安の審査を通り、どの会社が暴対法に反する取引やおとり広告を行っていたかのブリーフィングが行われ、監視している)。

葬儀社が透明性を謳っていることは、葬儀の価格とビジネスモデルを開示しているかである。
しかし、どこの葬儀社も紹介手数料のバックは当然のごとく行っている。
飲食ではほぼやっていて、5人盛りの5000円のお寿司の桶が8000円や1万円になってしまうこと。
葬儀のお通夜で頼む料理が高いのには気づいただろうか?

まれにお客様へ還元するために敢えてそこに手数料を取らない葬儀社もありこともここで明記しておかねばならない。
みんながすべてバックを取っているのではない。

一番、普段から皆さんが不透明だと思われるのが「燃料サーチャージ」ではなかろうか?

それなら航空運賃を上げろよと。
訳のわからない「サーチャージ」を付加するなと。

葬儀社で社会性と透明性、企業理念、使命感を揃えている会社は上場だろうが非上場であろうが存在している。
ビジネスモデルをきちんと開示し、「正当」な金額を請求している。
中にはホームページだけではなく、YouTubeやSNSを使って毎日と言っていいくらい説明している会社もある。
ここまでくると会社、社長、スタッフの顔が見えてきます。
逆に、社会から見張られていると言っても過言ではなく、自己開示することによってコミュニティに参加している。
これこそ日本の葬儀社でB Corporationムーブメントに値いする会社ではなかろうか。

そもそも、日本では葬儀社は社会で忌み嫌われていることを仕事していた。
子供のころ、いじめられたことはないが、20年余り前に結婚したときに「実家が葬儀屋だと言わないでくれ」と頼まれたこともあった。
私としては「葬儀屋のなにが悪いんだよ」と腑に落ちないモヤモヤ感が当時あったが、それがそのコミュニティに属する人たちの考え方だったのだと。
これが20世紀であった。

しかし、今は21世紀で、オープンガバメント、オープンシステム、オープンソースの時代である。
そして、自己開示をしていれば、他人からどう言われようが気にせずに(炎上目的ではないです)前に進めばよい。
とくに葬儀社は地域コミュニティと連携を取ることで必要とされる産業になります。

ちなみに、葬儀社を運営するに特別な免許や許可は必要ありません。
必要な免許といえば霊柩免許くらいですが、これすら今ではサポートする会社があるので取得する必要もありません。
斎場を経営するにも免許は必要ありません。
建物が集会場として消防法に適しているかだけです。
地域の和を伴っていれ問題ありません。
それには自己開示と互いの受け入れが重要です。

ちなみに友人が経営する葬儀社は地域に溶け込みすぎて、その会社がなくなると地域のお祭りや行事が成り立たなくなるほどの状態で今では必要不可欠な存在となっています。そして、それを悪用することなく、共存共栄してコミュニティとつながっていることも。

昔は「霊柩車侵入禁止」と言うくらい葬儀社は地域コミュニティから遮断されていたこともありました。
その町内会の長が亡くなったとき、ご自宅へ安置ができずご遺体を雨の中に置き去りすることにも発展した話を転職してきたスタッフから伺ったこともあります。
どうなったかと言うと、奥様が泣き崩れて、その場で町内会の三役たちに連絡を取り、コミュニティで作ったルールが自分たちを苦しめることになったと伝えた。
今でも「宮型霊柩車禁止」と言う条件を叩きつけてきている町内会はあります。

つまり、社会性、透明性が葬儀社にあってもコミュニティにないことも。

ここは根が深いです。

結論からすると、葬儀社がいくら高い社会性と透明性を開示してもコミュニティがそれを受け入れない限りはどうにもならないことです。
しかし、葬儀社が自己開示しない限り、前に進まない。
そして、最後は葬儀社がそのコミュニティで必要不可欠な存在になることが求められている。