生き方、働き方、死に方
年間900件からの人の葬儀現場に携わっていて、遺族の方々が悔やまれることは「もっと人生を楽しめていたはずなのに」「これからだったのに」「定年退職してから早かったね」などの惜しむ言葉です。
確かに「大往生だった!」「お赤飯炊こう」という言葉も聞きます。
やはり、式が終わってから圧倒的に惜しむ言葉が多いです。
そうならないように何をしたらよいのか?
「死に方改革」研究者として生き方と働き方は基本である。
しかし、万一、認知症になった場合はどうしたらよいのか。
オランダ、アムステルダムの郊外にHogeweykと言う認知症のコミュニティがある。
これは行政た主体になり認知症患者のみを収容?して作ったコミュニティである。
場所はアムステルダム・スキポール空港から電車と徒歩で45分くらいのところである。
Heemraadweg 1 1382 GV Weesp Nederland
ここには2012年にオープンし、23棟の「家」があり、152名の認知症住民(患者とは呼ばない)が住んでいる。
そして、合計250名のスタッフやケアマネージャーたちと一緒に7つのライフスタイルにわけられてそれぞれ暮らしている。
ここで重要なのは、人々が同じ価値観を共有しながら共同生活を送っている。
孤独が人間にもっとも悪影響と出ている。
つまり認知症になりやすくするのは孤独感が強い人だとも言える。
少しでも病状を悪化させないためにも孤独感を取り除く必要があるとも考えられる。
日本の認知症数は内閣府によると6年前の2012年は65歳以上の人の7人に1人(425万人)の割合だったが、2035年までにその数は5人に1人(700万人以上)、つまり単純計算だけで18.7%の人たちが患うだろうと。
内閣府統計局から下のチャートから65歳以上の人口は3741万人である。
つまりMCI(正常と認知症の中間の人)を含めると800万人以上の数があり、この方々を含めると20%と数字のマジックが働くことになる。まして「みんなの遺言」の投稿でも書いたが、認知症の認定は非常に難しい。
つまりその中間に属する人たちはどっちなのかがわからないから数字がはっきりしない。
ここで注意せねばならないのは、内閣府が利用する数字が年々変わっており(増えてきている)のでどのデータを利用したかで若干の誤差があることだけはお断りしておきたい。
http://www.stat.go.jp/data/topics/topi721.htm
このような認知症大国になってしまう日本で、オランダのHogeweykみたいな施設が必要となるのは目に見えているが、果たしてこの日本版を作れるか。そして施設を作ったとしても、周囲の住民から反対されないかなどの根本的な人格否定が起こらないだろうかが心配である。
そして、相続はどうするのかがある。
認知症になってからは成年後見制度が必要となってくる。
さらに認知症と診断されたあとには相続も難しくなる。
そして、このような施設に入居するには莫大な費用がかかる。
Hogeweykを建設費用が1930万ユーロ(1ユーロ130円と換算して〜約25.1億円)かかり、しかし国からの補助金は1780万ユーロ(23.1億+円)、単純計算して150万ユーロ不足(約2億円)が足らなかったのでこれを捻出せねばならなかった。
さらにここは24時間体制で医師やケアマネジャーや運営スタッフで250名、そして住民はすべて無料(食べたいものは何でも、その囲いの中のお店ではおカネを一切必要としない世界があり)の費用を賄うために毎月5000ユーロ(約65万円)の支払いが必要となる。だがヨーロッパではこのくらいの費用が一般的な介護施設費用と同等らしい。(未確認ではあるが、日本みたいに入居に伴うときの初期費用が圧倒的に少ないのかも–これは後日、現地に取材を申し入れて確認したいと思っています)。
日本でこのような施設はどうしても、人里から離れた場所になってしまいがちなのは、塀で囲む施設を作れないからである。そして膨大な土地が必要なので、どうしても田舎になってしまうだろう。
更に日本人として、どのように認知症患者と向き合ってよいのか試行錯誤状態でもあるだろう。
私が住む茅ヶ崎市の自治体でも、毎日のように「こちらは、防災茅ヶ崎です。行方不明の・・・」が放送されます。今は住宅に住んでいらっしゃるが、手に負えなくなるご家族は、可能なら認知症施設に預けたいだろう。まして行方不明になり、事故や事件に遭遇し亡くなった場合、誰が罪に問われるのかも考える必要があり、日本社会の大きな課題でもある。
欧米みたいない誘拐対策として皮下組織にIoTのマイクロチップを埋め込むことも出来ないだろうから(実用性の賛否両論は別にして)、難しい課題でもある。逆にそれができれば、扉と連動して、潜ったときに発報する仕組み(お店の盗難防止装置同様に)を作れば万一、コミュニティから抜け出した方々の対策にはなるが。
そこには「人権」「牢屋?」「施設」「住民を騙す?」と言う課題も残ってくる。
建設費は誰が出すのか、どう言う団体が運営するのかも課題になる。
葬祭業も死者数は増えると言われているが葬儀の単価も減ってくる。
そうなるとビジネスモデルを介護へシフトする必要があるが、この介護も日本では疲弊している。
どのように最期を迎えるのか、どこに解決の糸口があるのか手探り状態であることを知っていただきたい。